今回はタイトルにもある通り、学歴社会がおかしいのか考えてみたいと思います。
私は一般的に高学歴と言われる難関国公立大学に通っています。
この記事に書かれていることはすべて私個人の勝手な意見です。
学歴社会はおかしいです
学歴社会はおかしいと思います。
勉強ができる=仕事ができる、勉強ができない=仕事ができない?
本当にそうでしょうか?
たしかに高学歴の人は、”勉強に対しては”努力できることが証明されています。
対して低学歴の人は、”勉強に対しては”努力できないとみなされます。
しかしだからといって、「低学歴の人はまったく努力ができない人、つまり仕事を一生懸命やらない人」と判断されるのはなんだか腑に落ちません。
低学歴の人の背景
ここで低学歴の人は、大きく次の2つに分けられるのではないかと思います。
- 勉強が苦手だった人
- 勉強する環境が整っていなかった人
勉強が苦手だった人
「勉強なんて努力すれば誰でもできるよ。」と言う人、たまにいませんか?
私はそうは思いません。
なぜなら私自身、勉強は得意でしたが運動が大の苦手だったからです。
私がいくら努力しても、クラスで一番運動できる人に勝てるとは到底思えません。
クラスで5番以内にも入れないでしょう。
勉強が苦手な人も同じ感じなのかな、と考えています。
人には得意不得意がある、というのはよく聞く話です。
たまたま勉強が不得意だった、という人は多いでしょう。
勉強が苦手でも、仕事は得意かもしれません。
逆に、勉強が得意でも仕事は苦手な人もいますからね。
勉強する環境が整っていなかった人
「勉強する環境?そんなの家や学校で勉強すればいいじゃないか」と思う人もいるかもれしれません。
しかし、家でさえ満足に勉強させてもらえない人がいるわけです。
例えば次のような家庭で育つ人たちです。
- 子供が家事をしている
- 子供が兄弟の面倒をみている
- 卒業したら家族のために働けと言われる
他の人が遊んでいる時間にも、家事や兄弟の世話をしている。
にもかかわらず、「勉強ができないから努力もできないでしょ」と思われるのはあまりにも不憫だと思います。
以上のような低学歴の人の背景を踏まえると、「高学歴=仕事ができる、低学歴=仕事ができない」と一概に判断する学歴社会はおかしいと考えます。
学歴社会のせいで学歴と人間性に相関関係が生まれる
「高学歴=仕事ができる、低学歴=仕事ができない」はおかしいだろう、と先ほどまでお話ししました。
ここから少し話が変わります。
学歴と人間性の関係についてです。
私は、学歴と人間性には相関性を感じることが多々あります。
相関性を感じるのは、私自身が自称進学校から難関大学に進んだからだと思います。
大学に入学した後、「この人すげーな」「この人優しいな」「あの人は志が高いな」と思うことが本当に増えました。
「普通・当たり前の基準が今までとは違うな」とも強く感じました。
もちろん全員がそうではありませんが、高学歴集団の中には人間としてちゃんとしている人が多いなと思います。
そして、これは学歴社会のせいだと考えます。
現代の学歴社会の中で、特に学生時代は勉強が一番のように感じられています。
勉強ができることで親や学校の先生に褒められ、友達からもすごいと認められる。
小さな頃から他人に褒められたり認められたりすると、自信がつき余裕ができるので、自分も他人を認められるようになるのでしょう。
対して勉強ができない学生は、親や学校の先生にできないねと言われ、友達からもバカにされる。
勉強ができないというだけで、自分のすべてが否定されてしまうように感じます。
小さい頃から「できないね」「落ちこぼれ」などと言われ育てられれば、妬みや不安で頭がいっぱいになり、他人を恨みたくもなります。
このような結果、学歴と人間性に相関関係が生まれているのでは?と考えます。
ただし「勉強ができない=人間性が低い」というのはもちろん間違えです。
勉強が苦手な人の中にも人間性の高い人はいます。
なぜ現代の日本は学歴社会なのか
それは「効率がいいから」と「他に指標がないから」だと思います。
企業が新しい人を採用するときに、あまり労力と時間をかけたくないと考えるのは当然です。
大学名だけでエントリーシートをはじく企業もあるとかないとか。
たしかに大学名は誰にとっても非常にわかりやすい指標です。
部活の「〇〇大会優勝」「〇〇コンクール入賞」は、知らない人にとってはどのレベル感なのかイマイチわかりません。
つまり、どれくらい努力できる人なのか一般人ではすぐに判断できないということです。
対して大学名は、見れば一瞬でレベル感がわかります。
大学の名前だけで、努力した経験がある人を抽出できます。
「大学名で判断できる」というこの効率のよさが、企業にとっては大事なのでしょう。
さらに採用者が高学歴で、大学で人間性の高い人にたくさん出会っていたらどうでしょうか。
高学歴の人を選ぶ傾向はより強くなると考えられます。
暇な学生なら勉強はおすすめ
学歴社会はおかしいと思いますが、「やることないな」と暇している学生がいれば勉強を頑張ってみてほしいです。
今のところ、勉強はできないよりもできたほうがいろいろと得だからです。
足は遅いより速いほうがいいのと同じです。
心理学ではハロー効果と呼ばれる現象が認められています。
ハロー効果とは、一つの事柄に対する評価が、他の事柄に対する評価にも影響を与えることです。
例えば、勉強ができれば仕事もできそうに見える、勉強ができなければ仕事もできなさそうに見える。
実際に仕事ができなくても、勉強ができれば仕事ができそうに見え、入りたい企業に入れるかもしれない。
学歴社会ができあがったのは昔の人々がバカだったのではなく、心理学が関係している可能性もありますね。
少し話が逸れましたが、とにかく勉強ができて損することはありません。
もし他に頑張りたいことがあるなら、そちらを頑張ればいいと思います。
暇すぎてYouTubeばかり見て時間を潰しているくらいなら勉強しておくといいですよ。
少なくとも私は勉強しておいてよかったと思っている1人です。
人間的に優れた人にもたくさん出会えました。
まあ自分を正当化したいだけかもしれませんが。
まとめ:学歴社会はおかしいよ
今回は、学歴社会はおかしいのか考えてみました。
最初に「私は一般的に高学歴と言われる難関国公立大学に通っています」と書きましたが、これが低学歴と書いてあったらこの記事の受け取り方は変わったでしょうか?
学歴社会はたしかにおかしいと考えます。
しかし、「おかしい、おかしい」と言い続けてもすぐに日本社会が変わることはありません。
日本で生きていくなら、学歴社会であることをある程度は認めるしかないと思います。